【子育てと歴史】石田三成に学ぶ①〜歴史を学ぶことの意味

7A39D153-FAF7-4BF8-BFC8-49587DA6B013

【天下分け目の関ヶ原は、じつはけっこう近い】

5月はこどもの日。

我が家も5月人形を出して、息子の成長を祝いました。

この季節になると、無性に戦国ドラマが観たくなります。ここ最近観ていたのが、2000年代初頭に放映された大河ドラマ「葵徳川三代」です。

初代将軍の徳川家康から、秀忠、家光と徳川家三代に渡る物語で、私の好きな大河ドラマの一つでもあります。

この大河のすごいところは、いまでは考えられないぐらいの名俳優たちがこれでもかというくらいに出演していたことです。レギュラー陣はもちろんのこと、ちょっとした脇役にも、有名な俳優が所狭しと出演されていました。

この大河ドラマは、前半が戦国ドラマ、後半が政治ドラマのような構成でしたが、前半の物語では、関ヶ原合戦の前後が重厚に描かれ、東軍と西軍、両者の視点から話が紡がれていきます。

そして、西軍の主人公ともいうべき存在が、かの石田三成です。

【馴染み深い戦国武将たち】

私の暮らす岐阜県美濃地方は、戦国時代に数々の戦国武将が活躍した地ですので、馴染み深い武将が大勢います。

織田信長を筆頭に、斎藤道三、明智光秀、竹中重治などは言うに及ばず、「天下分け目の関ヶ原」に由来し、関ヶ原で活躍した武将なども割と馴染み深いです。

私が小学校の頃などは、関ヶ原での宿泊研修があったため、研修の前には関ヶ原の合戦についてかなり勉強させられました。

おそらく、ごくごく一般的な感覚でいえば、関ヶ原の合戦といえば、豊臣秀吉亡き後の覇権を競って、東軍と西軍が戦ったという認識ではないかと思われます。

さらにざくっと丸めると、「よくわからんけど、東軍と西軍が戦った」ぐらいの話でしょう。

私も、小学生の頃は、「よくわからんけど、石田三成と徳川家康が戦って、徳川家康が勝った」くらいの知識しかありませんでした。

 

【知れば知るほど、人生の教訓を教えてくれるものが歴史】

しかし、葵徳川三代を観て、私のなかの石田三成像は変わりました。

なぜ、石田三成は挙兵に及んだのか、どうして関ヶ原が決戦の地だったのか、そして、どうして石田三成は負けたのか。

学校の歴史で学ぶのは歴史の点を抽出した知識ですが、その点の前後を知った時、それは自分の人生に活きる知見となります。

戦国時代末期の敗者となり、歴史に消えていった石田三成。勝った者には勝った者の理由が、負けた者には負けた者の理由があります。

身近な関ヶ原の地理的視点も交えながら、子供のこれからの人生に役立つ知見を掘り起こすべく、石田三成の姿を考察していきたいと思います。

 

 

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中